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羽田健太郎さん

私のスタジオ録音処女作ヤマハポップコン「氷河期」弾いていただいていました。何年たってもそのこと覚えてくれていました。久々に会うと「船山くん、氷河期。」とニヤッとするいたずらっぽい表情が脳裏を離れません。
その後も私はハネケンさんのお陰で数々の名曲を録音することが出来ました。
沢田研二さん「勝手にしやがれ」、渡邊真知子さん「迷い道」、五輪まゆみさん「さよならだけは言わないで」中島みゆきさん「時代」山口百恵「パールカラーに揺れて」等々。
数々の賞もハネケンさんのお陰でいただいたようなものです。ハネケンさんがピアノを弾くとそのピアノはたちまちにして、100人編成のオーケストラに早変わりしたものです。

 でもそのプレイとは裏腹に誰とでも気さくに冗談を言ってくれる、優しいそしてひょうきんな先輩でした。
ハネケンさんにはプライベートでもずいぶんとお世話になりました。家探しをしている頃参宮橋のマンションを「僕、引っ越しするから僕のうちどう?」って紹介していただいたり、原チャリずっと貸していただいたり、本当に公私共々お世話になった方でした。

 駆け出しの頃スタジオでディレクターともめていたとき、ハネケンさんが「船山くん、大丈夫だよ。ここんところ僕が弾いちゃうから。」と言ってくれたときのハネケンさんは若輩者にとってはまさに拝んでも拝みきれないほどの神様に見えました。
今はもう本当に天国に行かれてしまったのですね。今これを書いていても涙が止まりません。

 こんなお話を披露するのはどうかと思いますがハネケンさんのお人柄を忍んで、お話しします。
先週の土曜日寝ようとしましたら頭の中に「グ○○○○○イ○○○ノ○○○!船山くん。」という声が聞こえました。それは寝付くまでずっと頭の中をループしていました。自分は「あれっ?何で今頃こんなハネケンさんのギャグ思い出してんだろう?おかしいな。でも、確かにハネケンさんの声だったなあ。」と思っていました。(このギャグ追求しないでください。)
月曜日になってそれがハネケンさんが逝かれた頃だというのを知りました。僕のような者のところまで、ハネケンさんギャグでご挨拶に来られたんです。その時から今まで涙があふれ出てきます。止まりません。
 ハネケンさん、明日お別れに行きます。どうかそれまで旅立たないでください。

コメント (2)

はじめまして。hello_sunnyvaleと申します。今頃になって初めて船山さんのこのブログに出会いました。申し訳ありません。でも感無量です。僕にとって船山さんは、高校以来ざっと30年にわたる長い間の憧憬です。


船山さんの名アレンジとハネケンさんの名演奏がアーティストのフレッシュな門出を最高にサポートして、レコード史上に輝き続ける素晴らしい作品に結晶した渡辺真知子さんのファーストアルバム「海につれてって」、そしてこれに続く「フォグランプ」は僕の一生の宝物です。真知子さんの作品が素晴らしいのはもちろんですが、それにも増して心に深く刻まれた感動は「海のテーマ」と「オーヴァーチュア」です(現在もCDでよく聴いています)。船山基紀さんこそはこの国のポップス史上最高クオリティの仕事を残された屈指の編曲家・プロデューサーであり、現在も最先端で輝きを失わない音楽人として尊敬してやみません。


真知子さんについては、近年もコンサートで益々磨きのかかった歌声を夫婦で楽しませて頂いております。現在、僕は自宅のある横浜から横須賀の職場まで京急で通勤していますので、毎朝、真知子さんのご自宅を車窓から拝見することができます。休日には夫婦で横須賀港や三笠公園、"どぶ板通り"などもよく訪れるため、当時より現在のほうが彼女の初期の"海"にまつわる作品群をより身近に感じることができます。


ところで、面白いエピソードがあるんです。かなり個人的と言うかマニアックな話で恐縮ですが(笑)

NHK技研から日本楽器製造㈱に移り一連のMCカートリッジ(アナログレコードプレーヤーのピックアップ部分)を世に送り出した父は、1970年代の後期から1980年代にかけて電気音響技術者としての絶頂期にあり、毎日自宅に帰ってからも熱心に仕事をしていました。その初期において自宅でのカートリッジの音質調整に最も多用していた邦楽LPが「海につれてって」だったのです。まさにリファレンスと言うべきレコードでした。

当時高校生だった僕は隣室から毎晩聴こえてくるそのサウンドに受験勉強を妨害されつつも、心酔していました・・・「なんて完成度の高いアルバムなのだろう」と。続く傑作「フォグランプ」も父のお気に入りで、こちらも試聴に好んで利用していました。この二枚のLPは父の引退後に僕が譲り受けました。家宝です。初期における父のカートリジ開発のスタイルは、オーディオテストレコード以外では、邦楽が真知子さん、洋楽がABBA、クラシックがモーツァルト、という感じでした。特に真知子さんのLPは擦り切れるぐらいに繰り返しかけられていたと思います。

こうした背景から、当時のオーディオ専門誌でも高い評価を受けた父のヤマハ初期の作品は「海につれてって」「フォグランプ」から生まれたと言っても過言ではないと思っています。それらがこの二つの傑作アルバムを最高の音で再生するカートリッジであることを知っていたのは父以外では僕だけというわけです(笑)。


僕は当時から渡辺真知子さんの大ファンで、アルバムで言うとちょうどサードアルバム「遠く離れて」の頃に浜松で彼女のコンサートを初めて体験しました。もちろんバンマスはハネケンさんで、お得意の駄洒落でMCを一手に引き受けていた感があります(笑)。コンサート終了後の帰路で会場近くの地下道に降りたとき、すぐ前方を歩かれていたのがハネケンさんとバンドのメンバーの方々でした。ハネケンさんはカジュアルなジーンズ姿でしたが、その後姿だけで大きな感動と緊張に襲われ、一言のご挨拶も出来なかったことが悔やまれます。

敬愛する羽田健太郎さんに改めて哀悼の意を表します。

hello_sunnyvale様>
 ちょっとうるっとしました。感動的なお話の数々ありがとうございました。京急で通われているんですね。毎日海が見られていいですね。
 お父上のお話、実は大変的確なチョイスでして、さすが名機をお作りの方ですね。。あの作品の録音及びミックスは現在日本を代表するマスタリングエンジニアである田中三一(バーニーグランドマンスタジオ)氏が担当していました。音がいいわけです。リファレンスにご使用になられていたと言うことを聞き、大変嬉しく思いました。
 真知子さんは未だに進行があるアーティストで相変わらず元気いっぱいに歌っておられます。(*^_^*)

 ハネケンさん、そうでしたね。ずっとバンマスでした。あの時のメンバーは録音と同じ方がメンバーでとっても豪華なバンドでした。

 hello_sunnyvale様、更新が遅くて申し訳ないですが、又お立ち寄り下さい。

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2007年06月05日 11:56に投稿されたエントリーのページです。

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